そして、あなたにも自分らしさを表現して悔いのない人生を歩んでほしいと、心からそう願っています。
私たちは、幼い頃からの周りの人たちの影響を受け、一般常識という枠を作り上げ、そこにハマらない自分を否定し、自分の本当の魂の想いにフタをしてしまいがちです。
でも、人にはみんなそれぞれのストーリーがある。
占星術を知る事によって、本来の自分を知り、自分の意識を変える事で前向きに人生を展開させていくことができます。
私も占いの世界に入るまでは、相当な葛藤がありました。少しだけそのお話をしますね。子供の頃の私
小さい頃は大人しくて、どこにいるのかわからない子供だったと言われます。
ひとりっ子なので、本やパズル・トランプが友達でした。
母は10代で結婚したため、父は母に対してしつけの面で厳しく、食事中などよく叩かれていました。
何かしてしまったら自分もたたかれる。
いつも緊張感に包まれた家庭環境でした。
保育園でも小学校でも、私の大人しい性格は変わりません。
友達に意地悪されても、言い返す事はできませんでした。
休日は、学校の図書館で借りた占いや心霊系の本を読んだり、トランプと会話するように遊んでいました。
そんな様子を見ていた叔母から、タロットカードをもらったのは5年生の時。
今思えば、この時、タロットカードの言葉の意味が解釈できなくて、「これは大人になってからやろう」と思っていたっけ。まさか仕事にするとは、1ミリも思っていなかったな。
親の期待
小学3年生の頃から急に頭が冴えてきて、算数で「5」の評価をもらうようになりました。これが良かったのか悪かったのか。
両親から妙に期待をされるようになってきたのです。
父に恐怖を抱いていたので、必要以上に父に褒められるように頑張ろうと思うようになっていきました。
中学に入り、周囲の期待はさらに高まります。常に「模範生」と言われていた私は、近隣の進学校に入るんだという見えないプレッシャーを受けていました。
当時は終身雇用の時代で、
いい学校に進学して、安定した職につくことが幸せ
という風潮があり、当然のように私もそれを信じていました。
毎晩夜遅くまで勉強して、希望していた進学校に入学することができました。
でもさすがに進学校。みんな頭がいい。
私はみるみる落ちこぼれていきます。自信もやる気もなくなり、大学を受験することすら難しくなりました。
この時の私は、両親に申し訳ないという気持ちでいっぱいでした。
ところがです。
進路の事で父と話してみると「大学に行かせるお金はない」と言われたのです。
「期待してたくせに!」という強い怒りと同時に「解放された」という思いが巻き起こりました。
結局、期待されていると思ったのは、私の思いこみだったのです。
そしてここから、真剣に自分のやりたい事を探す旅が始まるのです。
幸せ探し
「親の期待」という呪縛から解放された私は、「自分がやりたい事」を基準に進路を選ぶことができるようになりました。
ただ、まだ
いい会社に就職し、安定した職につく事が幸せ
だと思っていたので、実家から通える専門学校に行き、ひたすら勉強して資格を取り、希望していた会社に就職しました。
仕事は楽しく順風満帆な日々でしたが、変則勤務の仕事でトラブルがあると家に帰れない時もあり、次第に体力的にも精神的にも追い込まれていき、6年で退職を余儀なくされました。
一年間の引きこもり生活。
さすがにこのままではダメだと思い、再び資格を取るためにを猛勉強をして、無事に合格。
転職して、実家を出て一人暮らしを始めました。
この直後に、今の主人と出会い、結婚しました。仕事は続けるつもりでした。が、すぐに妊娠し、切迫流産になり退職を余儀なくされました。
高校時代からのバイトを含めると、10以上の職業を経験してきました。安定した職に就く事ができず、心の中は葛藤だらけでしたが、幸いにも子供は無事に生まれ、最愛の夫もいて何も不自由のない暮らし。両親も喜んでいるし、これが最高の幸せだと思っていました。
占星術との出会いと意識の転換
そんなある日、義母が手術を受ける事になりました。
毎日の義母の付き添いや食事の支度をしなくてはいけない
と思いました。
毎日義母の面倒を見に、義母の家に通う日々。
私は、このまま人の為に我慢して生きていくのか、
という疑問が湧いてきたのです。次第に、私自身も体調を崩すようになっていきました。
そんな日々が続いたある日、地元の情報誌で、あるセラピストさんの記事を見かけました。
体の調整と占いをしているセラピストさんで、申し込みをしてみることにしました。
これが私と占星術の最初の出会いです。
生まれた瞬間の天体の配置には、今までの私の状況がピッタリ表されていて、とても驚いたのを覚えています。
これを期に、憧れていたハンドメイドの雑貨店を開業する事に決め、本格的に起業に向けての勉強を始めました。
そして、翌年の3月。決定的な意識の転換が起こりました。
東北大震災です。
一瞬にして何万人もの人々が亡くなってしまう状況を目にして、強い衝撃を受けました。
そして、人生を悔いのないように生きようと思うようになったのです。
起業の失敗
震災が起こった年の12月に雑貨店を開店しました。
うまくいくだろうと思っていました。
でも、うまくいきませんでした。
ハンドメイドの仲間たちの活躍の場を作り、売り上げを伸ばす為に、イベントの企画なども進んでやりました。
仲間はみんな喜んでいるし、お客さんにも気に入ってくれていると感じていました。
でも、「人の為に」と思えば思うほど、自分の中の何かがなくなっていくような感覚がありました。
ある日、本棚のファイルの中から、以前、占星術でみてもらった時のホロスコープを見つけました。
これには、なんて書いてあるんだろう。何かヒントがあるかもしれない。
本を購入して読み、その面白さにどんどん引き込まれて行きました。
もっと勉強したい。
そう思うようになっていました。
占いの道への葛藤
ずっと「優等生」で生きてきた私は、占いの道に進むことにとても抵抗がありました。
人に怪しまれるんじゃないかとか嫌われるんじゃないかとか、様々な不安がこみ上げ、葛藤の日々が続きました。
お店は閉店することに決め、家族には事情を話さなくてはなりませんでした。
自分の本心を明かす事はとても恐怖でした。
私の中には
「言うとたたかれる」
という強い固定観念があるからです。
泣きながら打ち明けました。そして、義母からは猛烈な反対を受けました。
母の意外な反応
落ち込んでいたある日、実家の母からの1本の電話。父と揉めているという相談でした。
私は占星術を勉強していることを打ち明けました。そして、初めて鑑定したのが、母だったのです。
母は「すごいね」と、とても感心してくれました。
母に占いでも認めてもらえた!
私にとっては、目から鱗でした。
そして、母のこの言葉で、私は、やっと占いの道に進む事を決意できたのです。
子供の頃からやりたかった占いの道に。
そして占いの道へ
私は、「占い」に辿り着くまでに、30年以上もかかってしまいました。
小学生の頃から占い師になりたいと思っていたのに、その想いにフタをして生きてきました。
それは、社会の常識によって、自分自身でその扉を閉ざしてしまっていたに過ぎません。
これを読んでくださっているあなたも、同じような葛藤を抱えているかもしれませんね。
私は占星術を使うことによって、人々の悩みを減らし、世の中を明るくしたいと思っています。
家族や一般的な社会の常識が、必ずしもあなたの人生の常識にマッチしているとは限りません。
あなたにはあなたの魂が決めてきた生き方があります。
占星術で導き出す出生図には、あなたの人生のシナリオが刻まれています。
あなたは占星術を知る事によって、自分を知り、魂の本当の想いに気づくことができるでしょう。
そして宇宙の動きを知り、タイミングをつかむことで人生を創造していくことができます。
もっと自分らしさを表現して、生きて行きたいと思いませんか。
魂の願う方へ。
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占星術師 宙 玉季 (そら たまき)
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★長野県伊那市近郊在住
★2014年頃から占星術の道へ
★(株)maestoroみけまゆみ氏に師事
・出生図解読・時期読み・相性・ソーラーリターン・ハーモニクス
・ハーフサム・マンデン・ホラリー・エレクショナルなど受講
・タロット講座・視覚化講座受講
★色彩コーディネーター2級